キャリアステップpeople
国内外で星和電機ブランドの根底を支える開発者としての歩み。

2011年入社
理工学部卒
career 01
志望動機
珍しいかもしれませんが、学生時代からLED信号機の開発に興味がありました。開発職を志望していたため、重要視していたのが開発した製品が多くの人に見える形で世の中の安全に貢献できること。ただ、企業に入社できても自分自身が成長できなければ意味がないとも考えていました。星和電機は自己啓発支援制度や研修制度が充実しており、チャレンジさせてもらえる環境ということを知り、社業とその環境に魅力を感じ入社を決めました。
2年目交差点に立つ信号機が、私の仕事の証明になった。
今でもよく覚えているのが、自分自身が開発に関わったLED信号機が初めて設置された時のことです。担当したのは基板設計と樹脂成型品の設計でした。入社してから研修を終え、社会システム事業部に配属。上司や先輩にアドバイスを受けたり相談に乗っていただいたりしながらようやく製品化に至りました。初めての製品ということもあり、奈良と京都の交差点まで自分自身の目で確かめに行き、設置されているLED信号機を見て誇らしく思ったことを覚えています。
4年目転機となった異動。新たな環境で得たかけがえのない経験。
3年目で入社以来所属していた社会システム事業部から照明システム事業部に異動になりました。初めての異動で右も左もわからない状態の中、新しい部署で担当したのが中国市場向けの防爆照明の開発。これまでは社会システム事業部で国内向け製品を担当していたので未経験のことも多く、連結子会社の常熟星和電機有限公司や現地協力業者との何度も協議を重ね、開発を完了させたことは私のキャリアにとって重要な経験値となりました。

6年目言葉の壁を越えて得た、動じない心。
社会人生活も6年目を迎え、開発に関する知識も身に着け、海外とのやり取りも経験し、照明システム事業部での仕事にも慣れてきた頃の話です。開発の業務ではないのですが、今も心に残る出来事が。それは台湾で開催された展示会でのスピーチです。一般社団法人日本照明工業会を代表し、質疑応答を含めて約30分のスピーチを英語で行うことに。最初は不安な気持ちでいっぱいでしたが、いざ始まると上手くでき、やればできるという自信と、多少のことでは動じない気力を養うことができました。

10年目守りではなく、攻めのモデルチェンジを。
照明システム事業部の主力製品のモデルチェンジを担当することになりました。モデルチェンジするからには、現状の製品を超えることはもちろん、競合先の製品と差別化された市場優位性のあるものを生み出すために、新しい防爆構造にチャレンジしました。キャリアの中で培った経験や協力会社との関係性を活かしながら、様々な方と知恵を出し合い、オンリーワンの製品が完成。これが国内初となる樹脂充填防爆構造の照明器具です。発売に至った時の達成感は今でもよく覚えています。

14年目積み重ねた経験と出会いが築いた、理想の姿。
学生時代に興味を持ったLED信号機の開発からキャリアをスタートさせ14年。4年目の中国市場の経験以外にもインドネシア経産省プロジェクトへの参加、資格ではビジネス会計・簿記・生産管理検定・ITパスポートを取得するなど、様々な経験を積み課長に昇進することになりました。社内の人はもちろん、社外の人たちにも助けられ今の私がいます。「現場目線と技術力を持った課長」が今思い描く理想の姿です。不安な面もありますが、新たなスタートラインに立った気持ちで頑張っていきます。

すべてはお客様のために。営業への賞賛は、星和電機への信頼の証。

2011年入社
外国語学部卒
career 02
志望動機
就職活動では地元京都に本社を構える上場企業への就職を希望していました。複数企業の面接を受けた中で親身に相談に乗ってくださり、温かいアドバイスをいただいたのが星和電機の人事担当者や面接官の方々でした。こうしたアットホームな社風に魅力を感じ、入社を決意しました。
2年目不安も迷いも、行動で切り拓く。
初めての異動で、関西支社から西日本支社福岡営業所へ配属され九州・沖縄を担当することになりました。まったく土地勘がなかったため、初めのころは打ち合わせに出てくる地名が何県かわからないなんてこともよくありました。また宮崎県、鹿児島県、沖縄県など遠方の地域には飛行機や新幹線を利用して訪問することもあり、九州・沖縄地方の営業ならではの大変さを感じました。そんな日々の中で、がむしゃらに九州地方のお客様への営業活動に取り組み、真摯に向き合うことで、新たな環境への適応力と行動力を培いました。
3年目初のビッグプロジェクト、成功の裏に仲間の力。
異動から1年、九州の営業活動に慣れたころ、高速道路やトンネル照明などの大型案件を担当しました。受注から納品まで約2年かかり、現場調査や製品仕様の打ち合わせ、不具合対応を行い、無事に工事が完了。これまで数千万円規模の案件を担当していましたが、売上3億円超の規模の案件を任されることになり、打ち合わせや社内調整、顧客対応に追われましたが、周囲のサポートを受けながら無事にプロジェクトを成功に導きました。

5年目ひとつの声に真摯に向き合い、製品という答えを出す。
九州には濃霧が発生しやすい高速道路区間があり、濃霧の際にドライバーが情報板を視認できない問題を抱えていました。この課題を何とか解決できないかと、ソフト設計者や技術企画部と相談し、フラッシュライトの付加や表示輝度の向上などの対策を考案。一般社団法人日本自動車研究所で検証し「霧対策型情報板」として製品化することができました。この成果により、課題を抱えていたNEXCO九州支社から支社長表彰を受け、貴重な経験となりました。

7年目見て、感じて、判断する。海外研修で広がった自分の枠。
会社から選抜され海外研修を受けることに。中国の常熟星和電機有限公司とベトナムのSEIWA ELECTRIC VIETNAM Co.,Ltd.を訪問しました。工場見学や市内視察はもちろん、現地情勢に関する勉強会を通じて知ることも多く、収穫のある経験でした。国内ではある程度のことは経験値から推測できていたころで、海外を知ることでやはり現地で直接見聞きし、自ら判断することの重要性を再認識しました。

9年目「今、求められる」を形にし、選ばれる提案へ。
大分県の道路情報板の主制御機の全面リニューアルを提案し、見事採用されました。東京オリンピックなどの日本開催による多くの訪日外国人を見据え、外国語表示機能を搭載したことが受注の決め手となりました。この取り組みは社内の提案発表会で金賞を受賞し、地域経済に貢献するとともに、新たな仕事を生み出した結果、地元業者から感謝の声を頂戴することができ、大きな励みとなりました。
10年目地域への柔軟な対応で誠意を届ける。
沖縄県内の高速道路用情報板の全更新案件を受注しました。本土とは異なる環境での営業や施工、輸送方法について、社内はもちろん社外の方々とも何度も協議を重ね無事に完工。当時は沖縄特有の文化や現場環境に適応するため、「かりゆし」を着用して営業活動を行っていたのは、今でもいい思い出です。
12年目東京から全国へ、星和電機の技術力伝道者へ。
12年目を迎え、東京支社へ転勤。初めて家族と共に転居し、子供たちも転校や転園を経験しました。新しい環境には慣れないこともありましたが、子供たちの成長を見守る中で、自身も新たな視点で仕事に取り組むことができました。東京という日本の中心から、星和の技術を全国に広めることを目指し、さらに貢献したいと考えています。新しい拠点でも家族と共に充実した生活を送っています。
